2026年1月1日、フリーアナウンサーの久米宏さんが肺がんのため81歳で亡くなりました。妻の久米麗子さんによれば、「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました」とのこと。まるでニュースステーションの最終回のように——。その最期まで、久米さんは「久米宏」でした。
ニュースを「面白く」した革命児
1985年10月、久米さんがテレビ朝日『ニュースステーション』のメインキャスターに就任した時、日本のテレビ報道は大きく変わりました。
それまでのニュース番組は、専門用語が飛び交い、堅苦しく、「教えてやる」という上から目線のものでした。しかし久米さんは違った。**「中学生でもわかるニュース」**をモットーに、模型や手書きのフリップ、巨大な地図を使って、政治や経済を視覚的に、わかりやすく解説しました。
そして何より革新的だったのは、ニュースの後に自分の意見を述べるスタイル。「驚きましたね」「これは許せませんね」——客観報道が絶対視されていた時代に、久米さんはあえて自分の感情を言葉にしました。その率直さが、視聴者の共感を呼び、ニュースを「自分ごと」にしたのです。
テレビ朝日は久米さんの功績について「日本のテレビ報道における新しいスタイルのニュース番組を切り開いていただきました」と最大級の賛辞を送っています。
約19年間続いた『ニュースステーション』は、視聴率20%前後を維持し続けました。リクルート事件、昭和天皇崩御、湾岸戦争、55年体制の崩壊——激動の平成史を、私たちは久米宏というフィルターを通して目撃したのです。
『ザ・ベストテン』と黒柳徹子さんとの奇跡
久米さんのもう一つの代表作が、1978年から放送された音楽番組『ザ・ベストテン』です。黒柳徹子さんとのコンビは、最高視聴率41.9%を記録し、社会現象となりました。
この番組の凄さは、打ち合わせなしの生放送だったこと。黒柳さんの早口で予測不能なトークに、久米さんは冷静かつ的確に応戦し、時に毒を含んだユーモアで切り返す。このスリリングな掛け合いが、視聴者を魅了しました。
黒柳さんは追悼コメントで「政治のことも、日常のことも、打ち合わせなしにピッタリ合った」と振り返り、「私には親友という人が、いるようで、いなかった。あなたはその中で『ザ・ベストテン』以来本当の親友だった」と記しています。
久米さんは黒柳さんが設立した「トット基金」の理事も務めていました。しかし先月の理事会に久米さんが姿を見せなかったため、黒柳さんは「どうしたの?」と手紙を出したそうです。返事は、来ませんでした。
黒柳さんは「本当は涙もろく優しい人だった」と彼の人柄を振り返り、「私の涙が見えますか?」と呼びかけています。
人間・久米宏の素顔
久米さんには、テレビで見せる「クールな顔」とは違う、温かく繊細な一面がありました。
元外相の田中真紀子さんとは、早稲田大学時代の演劇サークルの同期。「真紀子!」「久米ちん!」と呼び合う仲で、10代からの友人でした。田中さんは「昔と何も変わってない」と久米さんへの思いを語っています。
また、久米さんは熱狂的な広島カープファンとしても知られていました。あるとき、TBSラジオの野球中継にゲスト出演した久米さんは、試合中ほとんど言葉を発しませんでした。理由を尋ねられると、「ラジオ中継を聞いているファンの邪魔になってはいけないと思ったから」と答えたそうです。
自分が主役の番組では饒舌に語る久米さんが、主役が「野球」であり「ファン」である場においては、徹底して黒衣に徹する——ここに、真のプロフェッショナルの姿があります。
晩年の境地とラジオへの回帰
2006年から2020年まで、久米さんはTBSラジオ『久米宏 ラジオなんですけど』のパーソナリティを務めました。彼は常々「テレビは虚業、ラジオは本業」と語っていたと言います。
映像に頼らず、言葉と音だけで世界を構築するラジオは、久米さんにとって最も純粋な表現の場でした。そしてこの時期、彼は「喋り倒す」スタイルから、ゲストの話をじっくりと「聴く」スタイルへと変化していきました。
2020年、14年間続いたラジオ番組を終了する際、久米さんはその理由として「加齢による集中力や根気の衰え」を挙げました。多くの公人が抽象的な言葉で引退を説明する中、久米さんは自身の認知機能や精神力の低下を具体的に言語化しました。
ここには、「老い」という現実を直視し、それを隠さずにリスナーと共有しようとする誠実さと、プロフェッショナルとして質の低いパフォーマンスを見せることはできないという矜持が表れています。
遺したもの
久米宏さんが遺したものは、数字や記録だけではありません。
彼は「アナウンサー」という職業の定義を書き換えました。情報を正確に読み上げるだけの存在から、情報を解釈し、感情を乗せ、視聴者と共有する「表現者」へと昇華させたのです。
『ニュースステーション』で試みた「わかりやすさ」の追求は、現在のYouTubeやSNSにおける解説動画の源流とも言えます。また、権力や常識に対して「これはおかしい」と声を上げる姿勢は、ジャーナリズムにおける個人のあり方を問いかけました。
共演者の恵俊彰さんは「久米さんはゴールデンタイムのニュース番組を作り、人々の世の中への関心を高めた草分け的存在だった」とその功績を強調しています。
妻の麗子さんは「常に新しいことに挑み、純粋な心で世の中の疑問を見つめる人でした」と語っています。
サイダーのように
人生という番組のエンディングを、湿っぽい涙ではなく、炭酸の泡のように弾ける爽やかさで締めくくった久米宏さん。
黒柳徹子さんの言葉を借りれば、「クールに見える」彼の内側には、「涙もろく優しい」人間味が溢れていました。その人間味こそが、ブラウン管越しに私たちを魅了し続けた最大の理由だったのでしょう。
久米宏さんの肉声は失われましたが、彼が遺した「自分の言葉で語る」という精神は、これからの情報社会において、より一層重要な指針として生き続けるはずです。
ご冥福をお祈りいたします。
久米宏(1944年7月14日 – 2026年1月1日)
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